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サロベツ湿原 詳細

サロベツ湿原 詳細 2サロベツの由来

サロベツはアイヌ語の「サル・オ・ペツ」葦(アシ)原を流れる川)が語源とされています。

サルはアイヌ語で湿原や泥炭地・葦原を意味します。オは、アイヌ語でそこで・~に、など状態と場所を表します。ペッはアイヌ語で川を意味します。また、それは bet べッとも発音されます。

※ 葦(アシ)とは、低層湿原に群生するイネ科の植物です。

サロベツ湿原の歴史 1
サロベツ湿原の歴史 2
サロベツ湿原の歴史 3
サロベツ湿原の歴史 4

サロベツの歴史

2万年前~1万 7千年前

大陸の一部であったサロベツは数万年前より盆地でしたが、上流からの多量の土砂の流入と地盤の隆起により豊徳台地、アチヤル台地を形成、ウエルム氷期による海野後退により大峡谷ができました。

1万年前

土砂の流入海面の上昇と共に第1次の大湿原ができました。(2層目泥炭層地下 25m~30m)

7~6千年前

海面の上昇は最大に達し大湿原も海面下となり豊徳台地に囲まれた大潟湖となりました。

4千年前

砂丘の発達により海水の流入が閉ざされ現在の兜沼、ペンケ沼、パンケ沼その他の小沼を残して大湿原の誕生がはじまりました。

湿原の種類・生成過程

サロベツの高層湿原は日本一と言われています。

こちらでは、湿原の種類と生成過程をみてみましょう。

高層湿原の生成過程
高層湿原の生成過程
出典 : 環境省 サロベツ自然再生事業 http://sarobetsu-saisei.jp/

湿原は、植物が枯れて死んだものが蓄積されできた泥炭でできています。その昔、北へと続いていた宗谷。大陸の末裔たちがサロベツに生きています。1年にたった 1mm しか成長しない泥炭、どんな歴史を重ねてきたのでしょう。

湿原の種類

低層湿原

水が周囲から流れ込み、ミネラルも豊富でヨシ、スゲといった植物の他、ハンノキ、ミズバショウ等も見られます。北海道では代表に釧路湿原があげられます。

中層湿原

低層湿原から高層湿原に移行する段階の湿原です。

高層湿原ほど高くない為、水も流れ込み栄養もやや豊富で、高層湿原と比べてやや背丈の高いヌマガヤやエゾカンゾウなどの大型の目立つ花が一番多い湿原です。

高層湿原

低層湿原の植物が枯れ蓄積された結果、周囲よりも高く盛り上がった湿原です。

水が流れ込みにくく、貧栄養地のため、ミズゴケやモウセンゴケなどの栄養が少なくても生育ができる植物が生えています。

多くは山岳地に見られますが、平地ではサロベツ高層湿原があげられます。

サロベツ原野の現状と課題

サロベツの開拓~開発とその影響

開拓前

上サロベツ周辺ではいくつか遺跡も発見されて、縄文前期には人が住み始めたといわれています。

第一の開拓(明治 30年代~第二次大戦前)

明治 30年代~40年代、国有未開地の無償貸し付けが進み、原野も急速に開拓が進み、豊富町の開拓は、明治36年に岐阜団体の12戸が移住民として兜沼に入植したのがはじまりです。

第二の開拓(第二次大戦後)

第二次大戦後、食糧増産と外地引揚者・復員軍人などの失業対策として「緊急開拓事業」が打ち出され、350戸の入植があった。

サロベツの泥炭地は、戦後、牧草地造成のための排水路の整備がすすめられてきましたが、平坦な地形は、酪農を中心とする農業にとっては融雪期には洪水の被害も多く受けてきました。近代化農業が始まるとともに、大規模な農地開発が行われ、大規模な放水路がサロベツ川にも建設されました。

酪農の条件に恵まれた豊富町では、酪農が根付いた反面、放水路への湿原からの水の流出により、泥炭地が乾燥化しはじめ、乾燥化によるササの侵入、高層湿原の植物の生育環境の減少などの影響がでてきました。

現在のサロベツ

『湿原と農業の共生を目指す自然再生』

サロベツ自然再生事業は、乾燥化しつつある湿原を復元、また、農地に緩衝帯を設置して湿原を保全するなどの事業を行いながら、一体的な農地の再生も進めることにより、「湿原と農業との共生」を目指しています。

引用 環境省 サロベツ自然再生事業 http://sarobetsu-saisei.jp/